こんにちは、飛べない豚です。
自分も自分なりに飛べる側の豚にあこがれてた時期があったんですけどね、現実的にパイロットの免許取るのは無理かなと大人になり気づきました。
というわけで、今夜の金曜ロードSHOW!は紅の豚です。
題名を聞くだけで加藤登紀子さんの色っぽい歌が脳裏によみがえる素敵な物語ですが、紅の豚にも都市伝説があったようですね!
紅の豚の都市伝説とは?
紅の豚の都市伝説の話に入る前に、紅の豚ってどんな話だったっけ?
という人も多いと思うのでまず、そのあらすじを簡単にまとめました。※ネタバレしてます!
主人公はパイロットのポルコ。
第一次世界大戦の時にエースパイロットとして大活躍した空の英雄です。
しかしなぜか豚の姿になり、今ではアドリア海で暴れる空中海賊を退治して懸賞金を得るという生活を送っていました。
空賊たちはポルコを消すため、腕の立つ仕事人・カーチスを雇いました。
ポルコはカーチスに撃墜され、愛機は壊れてしまい、いったんアドリア海を離れます。
カーチスはホテル経営者の美女・ジーナにひとめぼれしました。
しかしジーナは「私は、待っている人がいるの」といってカーチスを相手にしません。
一方ポルコは愛機の修理のためなじみの修理工場に足を運びました。
修理工のおやじは、孫娘のフィオをポルコに紹介します。
飛行機の設計を勉強中だというフィオに、ポルコが愛機の修理を任せると、機は以前よりパワーアップして戻ってきました。
アフターケアをしたいからついていくというフィオを連れてアドリア海に戻ると、空賊が待ち構えていました。
そこにはカーチスの姿もありました。
女好きのカーチスは、今度はフィオにひとめぼれ。
空での一騎打ちでもしカーチスが買ったら、フィオを手に入れるという条件を出してきました。
賭けに勝ったポルコに、フィオがキスをすると、魔法が解けてポルコは人間の姿に。
エンディングのシーンでは、ポルコの愛機がジーナの家の庭先に停まっていました。
ジーナが待っていた人は、ポルコだったのです。
親指姫か一寸法師の西洋豚バージョンみたいな感じでしょうか?
紅の豚の都市伝説というのは、話の途中から出てくるフィオという女性に関するものです。
このフィオという女性を通じて、紅の豚と魔女の宅急便がリンクしているという話があるんです!
紅の豚と魔女の宅急便の世界がリンクしている?
魔女の宅急便というと1989年の7月に公開されたジブリ映画で、実写化もされている作品ですね!
物語の舞台はスウェーデンのストックホルム周辺の町をモデルにしているそうです!
対する紅の豚は1992年の7月に公開された映画で、舞台はイタリアの東側に広がるアドリア海です。
紅の豚のなかに登場する老婦人が「魔法使いを見たことがある」と口走るシーンがあります。
そして、魔女の宅急便のシーンのなかに、飛行船がテレビに映るのを見てテンションが上がっている老婦人が出てきます。
この二人の老婦人は、チョイ役ではありますが、二つの物語をつなぐキーパーソンなのではないかと言われています。
飛行船を見てテンションを挙げているほうの老婦人は、じつはフィオの孫娘なのではないかという話もあるようですね!
ジブリ映画は大人のいたずらっぽい表情の描写が得意ですよね!
見てるほうをわくわくさせてくれます!
そして、紅の豚の中で魔法使いを見たことがあると口走った老婦人は、魔女の宅急便の登場人物となにかつながりがあるのではないかと言われています!
スウェーデンとイタリアは、飛行機ならばすぐに行き来できる距離なので、信憑性も高そうですね!
名言についても!
「飛ばねぇ豚は、ただの豚だ。」
「いい奴はみんな死ぬ」
「尻の毛まで抜かれて鼻血もでねえ」
尻の毛と鼻血の因果関係がいまいちわかりませんが、要は、これ以上何も取られるものがないって状態なんでしょうね。
いい奴はみんな死ぬって言葉も、戦争経験者の口から出ると重みが違います。
ポルコの言葉を聞くと、彼が豚になった理由がわかってくるんですよね。
ポルコが豚になった理由と結末は?
ポルコが豚になった理由、それは、自分で魔法をかけて豚になったのでした。
戦争ではパイロットとして活躍したポルコでしたが、軍隊社会や人間社会に嫌気がさし、自らに魔法をかけて豚の姿になったのです。
この魔法を解いたのは、最後のほうのシーンの、フィオのキスでしたね。
でもこの話は、そんなに単純ではなかったようです。
ジーナには、夫がいたようです。
しかし、ポルコの言葉にもあるように「いい奴はみんな死ぬ」そう、戦死してしまっているんですね。
夫を亡くすという悲しみを味わったジーナを、そう簡単に幸せにしようと踏み出すことはできない。ポルコはそう思って、ジーナの愛を受け止められずにいたようです。
これは大人の恋愛ならではの葛藤だと思います。
でも、ラストシーンではポルコの飛行機がジーナのプライベートの庭に停められていました。
このシーンが表す結末はつまり、ポルコがジーナと向き合う決心をしたということではないでしょうか?
二人はその後幸せになったのでは?これは筆者の希望的観測でもありますが……。