出典元:http://www.chie-project.jp/000/no01.html
高校の数学に出てくる定理は、戦火で焼失したアレクサンドリア図書館に残された本の一部がもとになっていると聞いたことがあります。
全部焼けてしまえばよかったのに。
テスト中そんなことばかり考えていたのを今でも覚えています。
戦争で焼失してしまった文化は数えきれないほどあったことでしょうが、それを再び蘇らせるという尊い仕事に命を懸ける日本人がいるのを知っていますか?
4月9日の情熱大陸に出演する森本喜久男さんはカンボジア伝統の絹織物をよみがえらせるテキスタイルデザイナーです、どんな人生をたどってカンボジアにたどりついたのでしょう?
森本喜久男のプロフィール
出典元:http://blog.livedoor.jp/jcod/archives/51429108.html
名前:森本 喜久男(もりもと きくお)
生年月日:1948年(69歳か70歳)
出身地:京都府
手染め友禅って知っていますか?
布を染めるときは染料に布を浸す方法が主なやり方ですが、手染め友禅は読んで字のごとく手で布に絵や模様を描いていく手法です。
森本さんは1971年に手染め友禅の工房に弟子入りし、1975年に自分の工房を立ち上げています。
1980年にボランティアでタイを訪れた森本さんは初めて、タイの伝統的な織物に出会ったそうです。
その後、たびたびボランティアでタイを訪れた森本さんは、1984年に東北タイでの手織物プロジェクトの設立にかかわり、それから4年後にはバンコクで草木染シルクの店「バイマイ」を開店します。
バイマイとは、タイの言葉で木の葉という意味があり、タイの伝統的な絹織物を木の葉で染めるという意味が込められているようです。
その後も森本さんは、タイでの織物や染物文化に深く関わっていきます。
タイで大学講師としてテキスタイルを教え始めた森本さんは、1995年にはユネスコの手織物プロジェクトのコンサルタントも経験しています。
1996年にはタイのタクマオ市にIKTT(クメール伝統織物研究所)し、2000年にはシェリムアップ市に移転して研修生の受け入れを開始します。
2003年には「伝統の森・再生計画」に着手し、現在では70人ほどの村人がそこに住みながら伝統の織物を作り続けています。
2014年には平成26年度外務大臣表彰を受賞し、その生き方を広く伝えるため、多くの著書も出版しています。
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自由に生きていいんだよ、こんな言葉をかけられたら、会社と家を振り子のように往復しているサラリーマンたちは逃げ出したくなるかもしれませんね。
クメール織物とは?
出典元:http://blog.goo.ne.jp/hibiscus2013/e/b4b8f62b72ecec95b5ee7856b44220cf
キレイな布ですねえ~♪
クメール織物とは、カンボジアに古くから伝わる絹織物で、森本さんはこの織物を手に取った瞬間一気に魅了されたというほど美しい織物です。
カンボジアの織物文化は歴史も深く、とても優れていたものでしたが、20年以上続いた内戦で織り手の多くが亡くなってしまい、文化が消えかけてしまったそうです。
その文化を廃れさせないために活動しているのが森本さんというわけですね。
いい布を作るためには、糸、いい糸を作るためにはいい蚕……そうしてたどっていった末に、素晴らしい布作り文化を取り戻すためには森から作らなくてはと森本さんは織物の森をつくりました。
織物の森・伝統の森と呼ばれる森本さんの作った森は、シエムリアップから車で約1時間ほどのピアックスナエンという地域にあります。
伝統の森
住所:472, Viheachen Village, Svaydongkum Commune, Siem Reap
TEL/FAX:(063)964437
アクセス:シェムリアップ中心部(Central Siem Reap)から車で1時間
駐車場:有(無料)
営業時間:7~11時、13~16時
定休日:日曜
JTBでは以前、村を見学できるツアーを組んだこともあったようですね!
最近はツアーが組まれた様子はないですが、情熱大陸で取り上げられれば状況は変わるかもしれません!
クメール織物研究所では、シルクのハンカチが15ドル・スカーフやクロマーが40ドル程で売られているという口コミがありました。
どれもかなりのいい値段でした。安いものではシルクのハンカチ15ドル、スカーフ(クロマー)40ドルなどがありました
お客さんに日本人が多いので、お値段もお高めに設定してあるのかもしれませんね!
がんで余命が5年!?
出典元:https://www.yamadashiori.com/blog/archives/5043
今までカンボジアの文化の復興に尽力してきた森本さんですが、なんと、その体はガンに侵されているのだそうです。
医師に宣告された余命は5年。
しかも、今年がその5年目なのだと言います。
痛みに耐えながら活動を続ける森本さんには、20歳の時に結婚して授かった娘の彩香(あやか)さんがいるそうですが、彼女は日本で生活しているようですね。
結婚は長くは続かなかったそうです。
タイと日本を行ったり来たりの生活ですれ違ってしまったのが原因だそうです。
娘さんはタイの文化復興のために生きた父をどう思っているのでしょうか?