どっかの国の王様みたいですね!
この男性は日本を離れ異国の地で巨万の富を築いたテクスケムグループのトップ、小西史彦会長です!
日本企業のトップが海外へ進出する時にアドバイスを乞いに行くという立場にある小西会長。
大勢の経営者たちがその背中を追いかけている小西史彦さんとはどんな人物なのでしょう?
小西史彦のwiki風プロフィール
名前:小西 史彦(こにし ふみひこ)
生年月日:1944年(72歳)
出身地:石川県七尾市
学歴:東京薬科大学
職業:実業家
1973年にテクスケム・トレーディングをマレーシアで創業した小西史彦さん。
日本人である彼がなぜマレーシアで巨万の富を築くことになったのでしょうか?
高校卒業後に小西さんが進学したのは東京薬科大学で、1968年にマラヤ大学に1年留学する機会に恵まれたそうです。
そしてその二年後にはシンガポールで仕事を始めたという小西さん。仕事を始めたきっかけは学生時代に出会ったある男性の言葉だったそうです。
マラヤ大学に留学していた時の事、若かりし小西さんはスズキの単車でマレーシア中を旅していました。そこで小西さんは現地人の男性に出会います。
その男性は小西さんを見て「お前は日本人か?」といきなり聞いてきて、「そうです」と答えた小西さんに対し「父母の愛は山よりも高し、海よりも深し」と日本語で暗唱したあと爆笑したのだとか!
日本でも大阪に行けばこういうオッチャンに出会えそうですけど。
留学先で、誰も自分を知らない遠くの地で、突然日本語で話しかけられたらうれしいでしょうね!
この一件で小西さんは一気にマレーシアが大好きになり、起業もこの国でしようと決めたようです。
経歴は?
大学では有機化学を専攻していた小西さん。
住友科学とフマキラーで染料と殺虫剤の研修を受けてから、満を持してマレーシアでの起業に取り掛かろうとしたそうですが、人生そう甘く無いようですね……。
当時のマレーシアでは外国人の労働許可証を取得するのがとても難しかったようです。
そこであきらめない小西さんはマレーシアの華僑系(中国籍)の商社に就職し、4年間染料の営業マンとして世界を相手に大活躍します!!
当時はシンガポールを出発してペナンまで毎月2往復して休みなくお客さんに会いに行ったそうです!
その情熱はどこから湧いてくるもんなんですかね!?
1973年にはそれまでの経験を元にペナンでテキスケム・トレーディングを設立します。
なぜ首都のクアラルンプール近郊で会社を設立しなかったかというと、ペナンという地域は、もともと英国の植民地で、英国の文化が根付き、インフラも整備された機能的な都市だったというのが理由だそうです。
起業から40年以上経って振り返っても、ペナン以上に起業に適しているいい都市はないと、小西さんは断言されています!
1976年には「フマキラー・マレーシア」という殺虫剤の会社を立ち上げた小西さん。
日本ではたった3か月ほどしか需要のない蚊取り線香ですが、この国と周辺諸国では一年中売れるということに目をつけて、赤字覚悟で工場を作り、売り上げは年々上昇して行ったといいます!
テクスケムグループは殺虫剤市場を皮切りに、外食産業や電子機器向けプラスティック製品の製造・カニかまぼこの製造など幅広く事業を展開していき、今ではマレーシア屈指の大企業に成長しています!
結婚してるの?
小西史彦さんは結婚しています!
大の愛妻家としても知られている小西さんは、丸々一か月の長期休暇を取り、妻と一緒に世界を旅することが趣味なのだそうです!
小西さんは家族をとても大事にしていて、妻と旅行するために自分だけでなく部下たちにも「ナンバー2を育てろ」と口酸っぱく言っているのだとか。
ご夫婦の間に子供がいるかどうかは不明でしたが、テクスケムグループは、縁故入社した人物が一人もいないようです!
縁故入社をさせないのは、優秀な人材を確保するため。
日本人の採用枠はマレーシアのエリートたちからも一目置かれるほど優秀でないと入れない超狭き門なのだそうです!
子供がいたとしても次期社長に……なんてことはないかもしれませんね!
年収は?
世界8か国に企業展開し、年商は300億円にも上るテクスケム。
そのトップである小西会長の年収とはいかほどのものなんでしょう?
札束をトイレットペーパー代わりにしたり、紙ナプキンにしたり障子代わりにしたりするくらい稼いじゃってるんでしょうか!?
マレーシアの学校に寄付したり、慈善事業にも力を注いでいる小西会長。
その年収は1億円をゆうに超えていると予想します!